2006年02月24日

物事に偶然は無い

私は、人生で起こることは、良い事も悪い事にもすべてに意味があると考えています。

もともと人間は霊的な存在です。
もし私たちが肉体のない魂の状態で存在し続けたならば、食べることも着ることも必要ありませんし、怪我をしたり病気になったりする心配もいらなくなります。
すなわち、肉体のない霊的な存在には、悩み事が何もないのです。
それなのに、なぜ私たちはわざわざ肉体という不自由なものを纏ってこの世に生まれてくるのでしょうか。
なぜ、わずか80年ほどの短い期間を生きる繰り返しを体験しなければならないのでしょうか。

それは、あえて生老病死という明と暗の体験を重ねることによって、喜びとは何かを知るためなのだと思います。
悩み事が全くない状態では、比較するものが何もありませんから、何が喜びで、何が幸せなのかを感じることができないのです。
だから喜びを知るために、人生には、明るい部分だけではなく、暗い部分が必然としてあるのです。

この世のすべてのものには両極があります。
表があれば裏があり、光があれば闇がある。これが、陰陽の法則です。
もし、この世に陰陽の法則が存在していなかったら、私たちにとってこの世に生まれてくる意味が全く無くなるのです。

私は、このブログのプロフィールのところで自己の神秘体験について語りました。
あれだけを読んでいただくと実に格好がいいのですが、実はあの数年後から始まった約7年間のどん底生活がありました。
世の中の不景気とも重なって、会社の大リストラに巻き込まれるなど、経済的に苦労をし続けた時期がありました。
今考えると、自己の人生経験として必要な苦労でした。
その状態から抜け出して明るい兆しが見え始めたのが2年ほど前です。

その後はまた、私にとって不思議な体験を重ねる時期となりました。
プロフィールにも書いたのですが、私には自分の人生を、一個人や一企業の利益のためではなく、何か社会全体のために使いたいという漠然とした希望がありました。

7年間のどん底生活が終了したことを確信した2004年の春頃、「自分の希望がもうすぐ叶う」というインスピレーションが私の心の中に入ってきたのです。
しかし、具体的にそれがどんなことを意味するのかわかりませんでした。
自分には、そのような新しい人生を歩み始めるための条件がまだ何も無いように思えていたのです。

同時に、もうひとつ別のインスピレーションがありました。
それは、その希望が叶う前に、私には「大きな試練が与えられる」というものでした。
しかもその試練は、私の人生の中で最強最大の試練だと感じたのです。
またそれは、私がこれから何か新しい活動をスタートするために必要な試練なのだということを感じました。
しかし、それがいったい何のことなのか、やはり検討がつきませんでした。

今までだって十分に苦しかったのに、これ以上の大きな苦労を強いられるということなど、もちろん私の望むことではありませんでした。
ですから、このインスピレーションは自分の勘違いであることを私は期待していたのです。

その年の夏の事でした。
予想だにしていなかったことが起こりました。
妻の病気です。
それが私にとって、これまでの人生最大の試練となりました。
しかし、以前インスピレーションにあった事が起こったのだということわかっていましたので、私は現実を受け入れてなんとか頑張り通すことができたのです。

そうして必死に生活をしているうちに、またある思いが湧き上がっていたのです。
それは、これから何かの新しい活動を始めるために、自分が今勤務している会社を辞めなければいけないという思いです。
新しい活動について何もあてが無かったにもかかわらず、しかも家庭内が大変な状態にあるにもかかわらず、私は強くそう思ったのです。

会社を辞めることについては、しばらくの間、私には迷いがありました。
しかし、私のサイドビジネスが加速度的に軌道に乗り始めてきたことが、その決断を後押ししました。
そして、妻の状況が安定してきた2005年の秋に、私は辞めることを決心したのです。
ただ、辞めることを会社に伝えてしまったものの、その後で自分はいったい何をすればいいのか、まだ検討がつきませんでした。

とりあえず、何か面白い情報を得られないかと思い、過去の交友関係をあたってみようと私は考えました。
そして一番最初に思いついた人が、ボランティア活動家として私の記憶の中に強く残っていた、片平さんという方です。
彼とはしばらく連絡を取り合っていなかったので、彼が今、いったい何をしているのか私は知りませんでした。
そういう思いつきで連絡を取ってみたところ、彼から予想もしていなかった提案を受けたのです。

実は、彼はいつの間にか立派な青年実業家になっていて、しかも人間の幸福から世界平和までを理念に掲げた立派な事業を立ち上げていました。
私は彼から、その運営に参加しないかという提案をいただいたのです。
しかも、彼の事業の主たるテーマは、人の健康についてでした。
それが「未病.jp」という活動です。
妻が病気になって、それを必死に介抱した私の経験が役に立つ内容です。

人生には偶然はありません。そのことを私は自分の体験をもって証明することができました。
片平さんは、「必要な時に必要な人が現れる」と言います。
誰の人生にも、あらかじめ何らかのプログラミングされた道が用意されているのです。
しかし、あらかじめ用意された道にうまく乗ることができる人と、そうでない人とがいると思います。
私がその道に乗ることができたのは、道を求め続けていたということに尽きると思います。
これが「求道」です。

関連記事
「人と人との出会いは必然。」
「思いは実現する、という宇宙の法則」
「生老病死を考える」


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posted by Y.Takahiro at 22:53 | 東京 ☔ | Comment(6) | TrackBack(0) | 『宇宙』の章
この記事へのコメント
最近、私の周囲で若かりし頃からの趣味や好きなこと等が紆余曲折しながらも1本の道に繋がってきている人が数人います。
これは、経験することや、出会い等は偶然ではなく必然であると確信を持つ出来事でもありました。
Y.Takahiro さんも、まさしく、1本の道に繋がってこられたんではないか・・・。そう思いながら日記を読ませてもらいました。

>しかし、あらかじめ用意された道にうまく乗ることができる人と、そうでない人とがいると思います。

私も、つい最近、友人に同じようなことを言いました。
チャンスを活かすのか活かさないのかは自分次第だよって。

Y.Takahiro さんは、諦めず求道されてきた結果、魂が求める天職に導かれることができたんだと思います。
私も、頑張ろう!!新たにそう思いました。

Posted by みーじゅ at 2006年02月27日 11:53
みーじゅ さん、メッセージありがとうございます。
道を求め始めた時点で、その人は自己実現していると思います。
そして更に道を進むと、自分のためだけではなく他人のために生きることを求めるようになります。
そのことを私は、自他実現と言っています。
Posted by Y.Takahiro at 2006年02月27日 21:16
自然界はすべて偶然なのです。
偶然を見逃すまい、掴み取ろうと努力している人がその偶然を必然に変えることができるのです。
すべては偶然なのです…
必然に変えるのは「自分」なのです…
Posted by たそがれの旋盤師 at 2006年03月04日 19:11
>自然界はすべて偶然なのです。

確率論から言って、偶然から必然が生まれる可能性は天文学的に小さい。
大自然の中では、必然から必然が生まれているから、誰の人生にも意味が生じるのです。
Posted by 鉄 at 2006年03月05日 00:48
はじめまして、鉄さま
>誰の人生にも意味が生じるのです。
僕はいま生きていることにたいした意味は感じません。
充実していない、満足していないという意味ではなく…
「死ね」とか「生きろ」とかじゃなく、ただ生かされているだけなのです。
本当に生きた意味を感じる時は、死ぬ瞬間です。
僕が生かされているのも偶然なのです。
天文学的に小さい確率の中に生かされている自然の中の人間という動物は凄いんです。
Posted by たそがれの旋盤師 at 2006年03月05日 10:30
初めまして。この記事気に入ったので
僕のブログに紹介させて頂きました。
迷惑であれば削除しますのでお手数ですが
コメントかメール下さい。

僕にも必要な時に必要な人が現れると言った
ことは度々あったのですが僕には
用意された道にうまく乗ることが
できませんでした。随分、月日が経って
からその事に気づかせて頂きました。
Posted by ホームレス at 2006年10月12日 16:18
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