2007年05月01日

愛と、感謝と、歓喜と、祈りと…、グレゴリー・コルベール作品展

グレゴリー・コルベール作品展

コルベール 『かつて人類は、自然や動物と共存し、平和に暮らしていました。
今でも、部族社会や先住民の暮らしには、自然と調和し、精神的な豊かさを重視する文化が見られます。
しかし現在、そのような社会は地球上から失われつつあります。
そこでそのような場所に生きる人々や動物が発するメッセージを人々に伝えたいと思ったんです。』

(2007.5.1付 朝日新聞広告記事より抜粋)

ある方に薦められて、昨日、お台場のノマディック美術館で開催中(6月24日まで)の
「ashes and snow グレゴリー・コルベール作品展」へ行ってきました。
コルベール氏の作品が、パネル写真と、大スクリーンの映像(動画像)で展示されていました。

スクリーン映像を見ていたときには、私のすぐ前に座っていた若いカップルが目に留まりました。
そこには、男性のほうがスクリーンを見ながら感動してすすり泣きをし、
女性のほうがそれをなだめているという光景がありました。

コルベール氏の作品には、人間関係のしがらみも、争いも、環境破壊も無い、
愛と、感謝と、歓喜と、祈りだけの世界が広がっておりました。

この作品展については、ここで私があまり稚拙な解説を加えないほうが良いと思います。
ご興味のある方は、あまり頭の中で理屈を考えずに、ご自身の感性だけでご覧になると良いかと思います。

お台場にて

※写真説明
上−ノマディック美術館で展示されているコルベール氏の作品(朝日新聞より転載)
下−お台場に咲いていた花



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posted by Y.Takahiro at 13:16 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 『心(こころ)』の章

2007年04月22日

「恋」する春ですね。氷川神社でカップルが♪

今日は薄曇りの天気でしたが、ポカポカとした散歩日和でした。

久しぶりに大宮の氷川神社へ足を運んだところ、
その境内にある宗像神社の神池のほとりで、
まあなんと、幸せそうなカップルに見せつけられてしまいました。

彼らは、それはそれは夢中で、
近寄ってくるボクの存在に少しも気づかず、
よくもまあ 恥じらいも無く、
何度も 何度も、
間違いなく 10回はチューしてましたよ。

ごちそうさまでした!

大宮氷川神社にてハトのカップル
大宮氷川神社にてハトのカップル


大宮氷川神社境内の宗像神社と言えば、パワースポット。
江原啓之さんが幽体離脱をして導かれた、まさにその場所ですね。
池の中に浮かんでいるような感じの小さな神社です。
江原さんはそこで巨大な龍神を見たそうですが、ボクはそれとは対照的な、ほほえましい光景を目撃してしまいました。
これも何かの「必然」だったのかも。



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posted by Y.Takahiro at 19:27 | 東京 ☀ | Comment(7) | TrackBack(0) | 『心(こころ)』の章

2007年04月13日

ただ愛、の詩 『千の風になって』

今年初頭、数々の歌謡曲を抜いて大ヒットした異色の作品『千の風になって』。
その詩は既にあまりにも有名なので、ここには転載しませんが、もともと、作者不明の英語の詩を日本語に翻訳し、曲を付けたのは、新井 満 氏 です。

新井氏自身の歌唱を収録したCDがセットされたブックが販売されています。
その中の記述を読むと、新井氏は、初めてその詩を一読したときに、たいそう驚いたそうです。
それは、この詩が、生きている人が書いた追悼文ではなく、死者が天国で書いて“天国から送り届けてきた返辞”ともいうべき内容であったからだといいます。

新井氏は、この不思議なパワーのある詩を日本語に翻訳し、メロディーをつけてみようと思い立ったものの、最初はなかなかうまくいかず、かなり苦労をされたようです。
しかし、詩のひとつひとつの言葉の意味を解釈しながら考えることをやめ、作者が属している世界と宇宙の形をイメージした瞬間から、すらすらと日本語詩とメロディーが浮かび上がってきたのだといいます。


  “いのち”の有り様は千差万別、
  この地球上には無数のいのちが共存している。
  人間も、そのワン・オブ・ゼムにすぎない。
  人間としての役割を終えたあと、
  まずは風になり、大空を吹きわたる。

  この地球上で太古の昔からえいえいと営まれてきた
 “いのちの循環”

  地球上に生きとし生けるもの全てのいのちにたいして、
  この作者は、「よし!」と、叫ぶのだ。
  絶対的に肯定するのだ。

  ※『千の風になって CDブック』新井 満(講談社刊) より転載


この詩は再生の詩であると同時に、死別の悲しみや現世的な人間の欲求を乗り越えた、
“ただ愛”の詩でもある、と私は思いました。

その英語詩は、欧米では既にかなり知られたものだったようです。
それにしても、キリスト教文化で発展してきた英語圏の中で、いったい誰が、このように神道的な思想をもって詩を書いたのでしょうか。
作者不明というのが不思議です。

オペラ歌手、秋川雅史の歌唱も美しいと思います。
実は、この私も過去に声楽をやっていたので、カラオケでこの曲を歌うと秋川調になってしまうのです。
一方で、この詩を日本人に広く知らしめた立役者、新井満氏の歌唱からは温もりが感じられ、秋川氏が歌うものとは一味違った味わいがあります。
ブックに付属されているCDには、ピアノ演奏による歌唱以外に、新井氏の朗読、そしてオーケストラのみの演奏も収録されており、聴いていて心が洗われるようでした。
皆様も一度聴かれてみたらいかがでしょうか。

関連記事
-The rose- 愛されていないと感じたとき




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posted by Y.Takahiro at 21:52 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(0) | 『心(こころ)』の章

2007年04月01日

花のたましい

花見の季節になりました。
今日、外を散歩していて、どなたかの家の庭の中で、申し訳なさそうに少しだけ咲いていた梅の花が、愛らしく感じられました。
私の住んでいる地域では、今の時期、梅の花と桜の花を同時に見ることができます。
梅や桜は華やかで、誰の目をも引きますが、
でも私は、道端に咲いている雑草を見て、ふと心が穏やかになり、それらをかわいいと感じたり、きれいだと感じたりします。

人でも動物でも植物でも、命あるものはすべて、何かの意味があって生きています。
きれいな梅や桜の花は、きっと大勢の人々の心を楽しませるために華麗に生きているのでしょう。
道端に咲いている花は、やはり人や動物の心を癒すために力強く生きているのでしょう。

特に感性の強い人ではなくても、満開の桜を見て美しいと感じたり、屋久島の絶景を見て感動するのは普通ですが、
もし機会があったら、近所の道端や、都会の空に目を凝らしていただきたいと思います。
私たちは、つい忙しい日々に流されてしまい、そのようなものを気にも留めませんが、
ちょっと心を落ち着ける時間を作って、普段何気なく見過ごしている野の草木や、雲や風に心を通わせてみてください。
誰でも、そこに大きな感動を見つけることができるはずです。


花のたましい

ちったお花のたましいは、
みほとけさまの 花ぞのに
ひとつのこらず うまれるの。

だって、お花はやさしくて
おてんとさまが よぶときに、
ぱっとひらいて、ほほえんで、
ちょうちょにゃ あまいみつをやり、
人にゃ においをみなくれて、

風がおいでと よぶときに、
やはり すなおについていき、

なきがらさえも、ままごとの
ごはんになってくれるから。

(金子みすゞ童話集より)





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2007年03月07日

-The rose- 愛されていないと感じたとき

最近、私が好きになった曲があります。

The rose
1979年の映画「ローズ」主題歌で、主演のBette Midlerが歌った曲です。


原曲   ベット・ミドラー(Bette Midler)
日本語訳  Y.Takahiro

Some say love it is a river
that drowns the tender reed
Some say love it is a razor
that leaves your soul to bleed
Some say love it is a hunger
an endless aching need
I say love it is a flower
and you it's only seed

人は言います。愛とは、かよわい葦を押し流していく川のようだと。
人は言います。愛とは、人の心を傷つける刃物のようだと。
人は言います。愛とは、傷つきながらも永遠に求め続ける飢餓のようだと。
でも私は言います。愛とは、花であると。そして今のあなたは、その種にすぎないと。

It's the heart afraid of breaking
that never learns to dance
It's the dream afraid of waking
that never takes the chance
It's the one who won't be taken
who cannot seem to give
and the soul afraid of dying
that never learns to live

傷つくことを恐れる心は、決して楽しく舞うことができません。
目覚めることを恐れる夢は、決してチャンスをつかむことができません。
取られることを拒む者は、与えられることの喜びを知ることができません。
死ぬことを恐れる魂は、決して生きることの意味を学べません。

When the night has been too lonely
and the road has been too long
and you think that love is only
for the lucky and the strong
Just remember in the winter
far beneath the bitter snows
lies the seed
that with the sun's love
in the spring
becomes the rose

夜があまりにも寂しいと感じるとき、
道があまりにも長いと感じるとき、
そして、愛は運や力のある者しか手に入れられないものだと思ったとき、
思い出してください。
冬の間、重く冷たい雪の下にずっと埋もれている種が、
春になると、太陽の愛につつまれて、薔薇の花になることを。


愛されていないと感じたとき、
野山に出かけてみてください。
そして、わけ隔てなく、見返りも求めずに、
いつもあなたを照らしてくれている、
お日さまのことを思い出してください。

愛されていないと感じたとき、
大我の心で人を愛してあげてください。


Bette Midlerの歌声をお聞きになりたい方は、下からどうぞ。



関連記事
ただ愛、の詩『千の風になって』
命をあげよう ―ミス・サイゴンより
女性の出産の痛み、その理由。

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posted by Y.Takahiro at 23:49 | 東京 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 『心(こころ)』の章

2007年02月07日

命をあげよう ―ミス・サイゴンより

聴いていて、とても感動する歌に出会いました。
それは、「命をあげよう」
ミュージカル「ミス・サイゴン」で本田美奈子さんが歌っていたものです。

曲について、私の主観によるコメントはあえてここに書かないことにしたいと思います。
ただ、下に「関連記事」として私が並べた過去の二つのメッセージが、この曲についての私の感想を示唆しております。


命をあげよう(I'd Give My Life For You)
歌: 本田美奈子

この手で育てた 小さな未来の生命
おまえのためなら 命をあげよう
戦争の傷 苦しみ あじあわせたくない
そのためとあれば 母は死んでいい
星空に結ばれて とこしえに燃える愛
そんな愛から 生まれたのが おまえだから
私が知らずに育った 幸福すべてあげたい
鳥のように自由に 生きられる世界へ
おまえが行ければ 母は死んでいい
一人寝の真夜中 あの人の影が
過ぎたあと残る 月の光だけ
泣いて手さぐると 指に触れるのは
新しい 小さな生命
遠くへ何処なりと はばたいて行くがいい
自由と機会に恵まれるように
そのためとあれば 命をあげよう


私はこのミュージカルを見たことがなかったのですが、この曲の背景がどうしても知りたくなり調べました。
「ミス・サイゴン」は、ベトナム戦争の後、ベトナム人女性が混血の我が子をアメリカ人の父親に渡すため、自らの命を捧げる物語であるようです。

あらすじは以下の通り。

ベトナム戦争下のサイゴン、両親を戦争で失ったキムはキャバレーのホステスとなる。
そこでキムは、米兵クリスと出会い、ふたりは恋に落ちる。
キムには親が決めた婚約者のトゥイがいたがそれを無視してクリスと一緒に暮らし始める。
そんな中サイゴンは陥落し、米兵はベトナム人を置いて自分たちだけ逃げるのだった。
クリスはキムを連れていこうとするが、陥落による大混乱でキムを見つけることができず一人アメリカに帰る。
それから、3年が過ぎ、キムの子供タムは3歳になった。
しかし、アメリカに帰ったクリスは結婚し、妻エレンと暮らしていた。
エレンは時折夫が寝言で呼ぶキムの名が気になっていた。
かつての婚約者トゥイは、キムがアメリカ人の子供を産んだことに怒る。
トゥイはタムを殺しにやってくるが、キムがクリスの残した銃でトゥイを殺してしまう。
このままではつかまると判断したキムは、タムを連れてアメリカに渡る。
アメリカに渡ったキムは、クリスに会いに行く。
しかし、そこにはエレンがいた。キムはタムを引き取るよう詰め寄るがエレンに拒絶される。
タムをアメリカ人にすることだけを心の支えにしていたキムは、タムをアメリカ人にするために自らの命を絶つ。




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2007年01月28日

給食費を払いたくない親の心理

支払能力があるにも関わらず学校給食費を払わない親が増加し、社会問題になっているようです。

支払わない親の言い分は、
「給食を出すように頼んでいない」
「義務教育なのだから支払う必要は無い」

給食を出すように頼んでいない・・・
この理屈を言い換えれば、他の子供たちが全員給食を食べていても、我が子には給食を出す必要はない、という意味です。
このように言う親は、もし給食が出なかったら、給食よりもおいしくて身体にいい弁当を毎日我が子に持たせることができる、とでも言うのでしょうか。
このような親に限って、普段は食品添加物や油分の多いコンビニの弁当や店屋物を子供に食べさせている例が多いのではないかと思います。
昔の親たちは、栄養バランスの摂れた昼食を安価な費用で供給してくれる学校給食制度に感謝をしていたものです。

義務教育なのだから払う必要は無い・・・
このように言う親は、義務教育とは親が自分の子に教育を受けさせる義務である、ということを理解しているのでしょうか。
国家がすべての子供に無償で食事を施す義務なのではありません。
義務教育なのだからという親たちは、もし義務でなければ、我が子に小学校教育も受けさせないつもりなのでしょうか。
義務教育制度とは、子供が一人前の社会人に育つための最低限の教育を、親に代わって行政が施してくれているものです。
ですから、むしろ行政がそのような教育を無償で施してくれることに対して、親たちは感謝の気持ちを持ってもいいはずです。
義務教育だから…、という理屈をこねている親たちはきっと、我が子が簡単な漢字の読み書きもできない、掛け算九九もできない大人になったとしても別に構わないと考えているのでしょう。

また義務教育の年齢というのは、子供の人間形成にとって大切な時期でもあります。
他の子供が給食費をきちんと支払っているのに、自分だけがそれを支払っていないという惨めな状況に我が子が置かれていることについて、親はどう考えているのでしょうか。
子供の昼食代を支払わずに、浮いたお金で濃い化粧をしてブランドバッグを持ち歩いたり、パチンコへ通ったりしている親を見て、子供はどう思うでしょうか。
このような子が親に感謝をし、立派な大人に成長していくことができるのでしょうか。

すなわち、給食費を払わない親たちは、結局、自分の子を愛していないのでしょう。
給食費不払い問題は、自己中心的で物質的な欲望が最優先されて、愛とか倫理といった心の問題が消失してしまった、淋しい現代社会の一面であるように思います。






健康は食事が大事

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posted by Y.Takahiro at 19:56 | 東京 ☁ | Comment(2) | TrackBack(2) | 『心(こころ)』の章

2007年01月01日

2007年を元気にする言葉

伊豆大島の太陽ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
 HAPPY NEW YEAR !

ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)


明けましておめでとうございます。
弥勒
皆様にとって、2007年が良い年でありますように。

2007年を元気にするために、
このブログでこれまで紹介させていただいた、
様々な方の心に残る言葉を、ここに抜粋してお贈りいたします。



お遍路

人生という旅

私たちはこの世に『経験』と『感動』を得るために生まれて来ました。
その為に大事なことは
“どれだけ 長く生きたか” ではなく、
“どれだけ こめて生きたか” ということ。
そして“磨かれる”ということは
小さな“傷”がたくさんつくこと
傷つくことを恐れずに 人生という旅を充実させていきましょう。

江原啓之 (2006年06月23日「陰陽の法則で闇と向き合う」)

チューリップ

私たちがこの世に生まれてくる理由

人生において乗り越えるべき困難が大きければ大きいほど、
それを乗り越えたときのために自分に用意されているご褒美は大きい。

飯田史彦 (2005年12月06日「「出会い」の意味と目的」)

鳳凰

心のきれいな人

誰にでも人生の挫折はある。
今の辛さは、いい経験になる。
縁はいろいろなところにあるよ。
心のきれいな人のところに幸せはある。
テイク・アンド・ギブではなく、ギブ・アンド・テイクでいきなさい。
ニートは、純粋で心のきれいな子だ。
自分を信じて、正しく生きなさい。
努力すればできる。
いろいろな社会の仕組みを、あなたたちが直しなさい。
心を入れ替えたら、すごいパワーになるよ。
人生には、本当にびっくりするような、宝の山がたくさんある。

細木数子 (2006年04月05日「ニート」)

母性

母 性

なぜ女性は、出産の痛み・苦しみを
体験しなければならないように生まれてきているのでしょうか?

――これから、無条件の愛を実践していくためだ。――

Higher self (2006年12月04日「女性の出産の痛み、その理由」)

丘

大自然の法則

太陽も、地球も、
あなたに、何も見返りを求めてはいないのだ。
分け隔てなく、無条件に与える愛。
それが神のつくった仕組み、大自然の法則なのである。
何時でも、あなた方すべてに、神の愛が注がれているのだ。
あなたは太陽や地球に、今まで何度、感謝したことがあるだろうか。

もしあなたが、大自然の法則に逆らって生きたとしても、
神は決してあなたを見捨てることはない。
なぜならば、大自然の法則、
すなわち神がつくった仕組みとは、
“無条件の愛”なのだから。

Higher self (2005年11月23日「大自然からのメッセージ」)

日の出

人類の進化

なぜ神は人間に不食の秘密を隠したのか。それは私たち人間の体験と学びのためであった。
だが時が満ちて、この二十一世紀というとき、その幻想は使命を解かれる。
人類は偉大な卒業のときを迎えている。
人類が大いなる進化を遂げる。進化とは、さらなる自由の獲得である。
有限という拘束から、無限の広がりに拡大していくことがそれだ。

山田鷹夫 (2006年06月01日「神の機密か?人は食べなくても生きられる!?」)

遊園地 

平和な楽園

戦争の後に何が残るの
傷ついて 涙も枯れて 冷たい心
愛しい人失う悲しみが 生きる希望もなくしてしまうのよ
禁じられた扉を開けないで

目を覚まして 平和な世の中を 
子供たちが 素足で 自由に駆け回る姿
あなたも見えるでしょ
無邪気な あの笑顔 あの声

太陽よ、光りを与えたまえ
そして 空よ 微笑みながら 優しく包みたまえ

ほら 聞こえるでしょう あの鐘の音
風邪に乗って幸せを運んでくる
あなたにも 小さな花たちにも

生きている喜びを忘れないで
宝物
恵み溢れる 輝く楽園

本田美奈子 (2005年12月22日 本田美奈子作詞の「タイスの瞑想曲」)



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2006年12月04日

女性の出産の痛み、その理由。

TVで、タレントのジャガー横田さんが、50時間という難産の末に高齢出産を成功させたという報道を見ました。
そこには、さすがにあの豪傑な女子プロレスラーでさえも、陣痛と出産の痛みには顔が歪んでいた様子が、録画シーンに映し出されておりました。...

この記事は移転しました。


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2006年08月08日

新興宗教による相次ぐ被害報告

「摂理」という韓国の新興宗教団体において、教祖から性的被害を受けたとの訴えが相次いでおります。

このように、様々な新興宗教団体による被害報告が後を絶たない理由は、霊的なことを人々に正しく教える公の機関なり制度なりが無いためであると私は思っています。

私たち人間は、身体という物質的な要素のほかに、心や感情といった目に見えないもので構成されていることは誰もが疑わない事実です。
また、気功術に代表されるように、目に見えないエネルギーが人間の身体に何らかの作用を及ぼすことは、多くの人が認めています。
行政や国の教育機関がこのような話題に触れることをタブーとして目をつむり、あるいは全否定しているかのような姿勢を取っている限りは、エセ宗教による被害は無くならないでしょう。

すべての団体がそうというわけではありませんが、多くの新興宗教団体において、神仏が個人的な利益や欲望のために利用されていることは確かです。

神仏や先祖を敬うという心は大切にしなければなりません。
しかし、認識を間違えてはいけないことは、神仏は私たちに対して何の義務も課していないし、何かをしなかったからといって私たちに天罰を下すこともないということです。

例えば、霊界に物質というものはありません。
ですから、神仏が私たちに金銭を要求してきたり、立派な宗教施設を建てることを要求してきたりといった、物質的な要求をしてくることはありえないのです。
私たちが宗教施設に金銭を提供する動機は、神仏を敬う気持ちを行為として現すひとつの手段として、また、自分がお世話になっている教団の維持運営のため、といった自発的なものにすぎません。
ところが、自分が物質的に幸せになれるようにとか、健康になれるようにとか、そういう見返りを求める動機で金銭の提供が行われると、逆に不幸につながるのです。

私たちは、霊的な成長(精神の成長も含むが、もっと深い意味での魂レベルの成長)による喜びを体験するために、この世に生を受けてきました。
「成長による喜び」を体験するのですから、私たちには未成熟な段階(時期)があっても良いわけです。
したがって、大きな意味で言えば、エセ宗教団体に騙されてしまうようなことも、成長過程での学びの体験のひとつとして考えれば、あっても良いわけです。
しかし、なるべくならば、そういうものであまり大きな心の傷を作らないほうが良いと思います。

そのためには、私たちが生かされている意味を正しく理解しておくことです。

繰り返して言いますが、私たちは、霊的な成長による喜びを体験するために、この世に生を受けてきました。
そして、神仏は私たちに対して何の義務も課していないし、何かをしなかったからといって私たちに天罰を下すこともありません。
すべては自己責任としてあり、絶対的な存在や他人からいちいち指示を受けながら大切な決断をしていくような、そういうロボットのような生き方には霊的な成長はありません。

宿命といって、生まれる前から予定されていたことはあります。
例えば、自分が生まれる場所、性別、生涯の中で出会う人たちというのは、最初からほぼ決められています。
それらは、自分がこの一生の中で霊的に成長するために、生まれる前に自分で自分に用意しておいた教材であると考えて良いと思います。
しかし、それらの教材をどのように活用するかを決めるのは、今のあなたです。
教材の活用の仕方について、あなたがどのような選択をしたとしても、それが間違いだといって神仏のバチが当るようなことはありません。

私は、自分がしてはいけないことは、二つだけだと思っています。
ひとつは、故意に他人に迷惑をかけることです。
もうひとつは、自殺をすることです。
ただし、いずれも、神仏が「してはいけない」と命令しているわけではありません。
神仏は私たちに何の命令もしないし、義務も課していません。
この二つのことをしてはいけないと私が思っているのは、自己の魂の成長のためにメリットにはならないと感じているからです。
自分で自分を苦しめる結果になるだけの行為だと思っているからです。

私たちが宗教と言われるものと関わる場合には、そこに何かの物質的な見返りを求めるのではなく、そこから人生の指針を学び、自己を向上させることだけを目的として信心することが良いと思います。
そして、何かの決断をしなければならない場合には、その決断は自己を向上させるだろうか、という考え方を常に念頭に置いておけば良いでしょう。



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2006年07月01日

ランタナ ―大自然の芸術品

rantana13.jpg


今日は、このブログで初めて画像をアップしてみました。
画像は、以下のサイトからいただきました。
「植物生態研究室(波田研)のホームページ」
http://had0.big.ous.ac.jp/index.html

この花は「ランタナ」です。
私のこれまでの生涯の中で、最も美しく、最も可愛らしいと感じた花です。
上の写真は、原寸大よりもかなり大きいと思います。

私がこの花と最初に出会ったのは、今から十数年前。

その日は、夏の日差しの暑い日でした。
北浦和駅の駅前にある花屋さんで初めて、鉢植えのランタナを見つけました。
鉢一杯に、鮮やかな黄色の小さな花がたくさん咲いておりました。
その花びらの形が雪の結晶のようにも見え、また宇宙の始まりに最初の光が誕生した時の様子がイメージされるような感覚もあり、私はとても可愛らしく、また美しい花だと思いました。
また、風水で黄色の花は金運を呼ぶということを聞いていたので、縁起もいいと思って買い求めたのです。

家に持ち帰りしばらく日が経つと、植木鉢の中で一面に咲いていた黄色の花はすべて散り、緑の葉だけが残りました。
私は、今年はもう花は終わりなのかもしれない。また来年咲くのを期待しよう、と考えていました。

ところが、それからまた何日か経過した時、ふただび美しい小さな花が、鉢いっぱいに咲いたのです。
私は、このとき、ちょっとびっくりしました。
今度咲いた花は、前と色が違うのです。
黄色ではなく、すべて真っ白だったのです。
それはそれは清らかで美しい花でした。
「一粒で二度おいしい」とは、まさにこのことだと思いました。
黄色の花と、純白の花と、ワンシーズン中にひとつの植木鉢の中で違う風景を二度楽しめたのですから。
やがてその白い花もすべて散り、再び緑の葉だけになりました。

三度目はもうないだろう、と私は思っていたのです。
ですが・・・、しばらく経ってまた咲いたのです。
驚きました。感動しました。
今度は、鉢いっぱいに、小さな桃色の花が咲いたのです。
清純な少女の姿をイメージさせる、とても可愛いらしい桃色の花でした。

この次は、また最初の黄色の花にもどるのかな? 
でも、季節はそろそろ秋。これが散ったら、まさか今年はもう咲かないだろう、と思いながらも4度目のサプライズを期待してしまったのが私の本心でした。

そしてランタナは、私の期待を裏切らなかったのです。
大感激です!
なんと、季節も秋になって、4度目に咲いた花は、白地に桃色のまだら模様が乗った芸術的な美しさを見せる花でした!
芸術の秋に、人間が人工的に作ったものではない、自然の花びらの芸術が、私の心をすっかり魅了させてくれたのです。
ここまで来ると、ランタナに感謝、感謝です。

このブログを読んでくださっている皆様は、上の写真と同じ形をした花が、鮮やかな黄色になったり、清らかな白色になったり、可愛らしいピンク色に変わったりする様子を思い浮かべていただけたらと思います。

あとから知ったのですが、ランタナは、花が咲いてから時間が経つに連れて色が変わるため,別名シチヘンゲ(七変化)と呼ばれるのだそうです。


嗚呼・・・、花は、なぜこんなに美しいのでしょうか。。。
私は、大自然の神秘に畏敬の念を抱かざるを得ません。

物事には偶然はありません。
何か意味があるはずです。

ミツバチが花粉を運ぶときに目立つように花はあのような色・形をしているのだ、という説もあります。
しかし、それだけでは十分な説明にはなっていないと私は思います。
ランタナは、なぜ七変化するのでしょうか。

ひとつ明らかなことは、私たちは花を見て、心が癒されるということ。
乳牛にクラシック音楽を聞かせると、乳の出が良くなるといいます。
人間だけではなく、動物にも芸術がわかるということなのでしょう。
すなわち、花は人間や動物に癒しを与えるために、この世に生まれ、存在しているのではないでしょうか。

私は、ランタナを初めて自分の部屋に置いていた時期ほど、この花は私を楽しませるために繰り返し何度も咲いているに違いない!と感じたことはありません。

花は、私たちに何の見返りも求めず、
ただ・・・
私たちの心を癒すために、今ここに存在してくれているのです。

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2006年06月23日

陰陽の法則で闇と向き合う

先日に引き続き、今日も陰陽の法則についてお話します。

私たちは、闇があるから光の有難さを感じます。苦しみがあるから幸せを感じるむことができます。
世の中に分裂があるから統合の大切さを知り、不道徳があるから倫理の必要性を知り、環境破壊があるから自然保護の重要性を知り、戦争があるから平和の尊さを知ることができます。

そして私たちは、霊的に成長するためにこの世に生まれ、生きています。
分裂や破壊という世の中のマイナスの現象は、私たちに学びを与えるために存在してくれているのです。
しだかって、宇宙の大きな法則の中で考えれば、基本的に善悪はありません。
分裂や破壊と向き合いながら、統合と平和を目指して生きていくことによって、私たちは成長していきます。

私たちはそのように学びの体験をしながら転生を繰り返し、いずれ最終的に成長を遂げた時には、もはやこの世に生まれてくる必要性がなくなります。
その時には、陰陽という両極の存在しない世界、統合と平和だけの世界(=神の世界)へ戻っていくのです。

それでは、自己の成長を目指すときに、私たちはこの世の中に必然として存在する「闇」や「悪」と呼ばれている部分とどのように向き合っていけば良いのでしょうか。

正義感の強い人たちは、自分が悪と考えるものを排除しようと考えます。悪と戦って、悪を消滅させようとします。
その結果、ややもすると人間の正義感は、世界に分裂や戦争をもたらしてしまうのです。
正義感や反骨精神では、人類は幸福にはなれません。

悪を無視して悪と付き合わないようにする、悪を見ても目をつむって放っておけばいいという選択肢を選ぶ人もいるでしょう。
ただ、それはその人の成長にとってマイナスではないが、停滞であると思います。

反面教師という言葉があります。
他人のマイナス部分、世の中のマイナス部分とあえて向き合ってみることによって、私たちはそれまで気づかなかった自分自身のマイナス部分に気づくことがあります。
人はしばしば、自分と似ている性質を持つ他人と出会うと、その相手に対して嫌悪感を抱くことがあります。
相手の中に、自分の嫌な部分を見るからです。
そういう気づきが得られれば、その人は成長したと言えるでしょう。

より積極的な生き方とは、悪を抱き参らせてしまうことです。
悪と戦って悪を排斥するのではなく、自分が嫌だと思うその相手を受け入れて、相手を癒してしまうということです。
これが、最も自己を大きく成長させることができる道であると思います。
相手が成長していくために手助けをしてあげることによって、自分自身も成長していくのです。

ただし、このときに、自分の中に慢心があってはいけません。
この世の中に完璧な人などおりません。もしあなたが完璧な存在ならば、この世に生まれてくる必要がなかったはずです。
自分が「悪」であると感じる相手と積極的に向き合うことは、自己を見つめる絶好の機会にもなります。
相手もまた、あなたを成長させるために、この世に存在してくれているのです。
相手を抱き参らせることと同時に、相手に学ばせていただくという、謙虚な姿勢が必要なのです。

また、苦手な相手と付きあっていくときに、自分が傷つくこともあるでしょう。
このことを考えるときに、TVで人気のスピリチュアルカウンセラー、江原啓之氏からの素晴らしいメッセージがあります。

――私たちはこの世に『経験』と『感動』を得るために生まれて来ました。

その為に大事なことは
“どれだけ 長く生きたか” ではなく、
“どれだけ こめて生きたか” ということ。

そして“磨かれる”ということは
小さな“傷”がたくさんつくこと
傷つくことを恐れずに 人生という旅を充実させていきましょう。

江原啓之――


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posted by Y.Takahiro at 16:13 | 東京 🌁 | Comment(4) | TrackBack(1) | 『心(こころ)』の章

2006年04月30日

この惑星の住人は、疲れることがうれしいらしい。

――この惑星の住人は、働くということに、とり憑かれているらしい。
  しかも、疲れることがうれしいらしい。

これは、サントリーBOSSのコマーシャルシーンの中に出てくるセリフ。

ハリウッドスターのトミー・リー・ジョーンズが扮する宇宙人ジョーンズが、工場で働きながら地球の調査を開始。
先輩作業員とのやり取りを通して、何かを感じ始める。
「お疲れ様」「お疲れ様」と楽しそうに言っているこの惑星の住人を不思議がっている。

登場人物やストーリー構成が面白く、最近、私が気に入っているTVコマーシャルです。

もし本当の宇宙人が私たちを見たら、実際にこのように感じるのかもしれない、と私は思います。
あくせくと労働をするためにこの世に生きているように見える地球人。
とくに日本人はそうですね。

働くという行為から学ぶことのできる人生勉強や喜びも多いのですが、労働が人生の目的になってしまうことはどうかと思います。

今年も、ゴールデンウイークに入りました。
少し仕事から思考を遠ざけて、いつもとは違う体験をするために、自分の貴重な時間を使ってみられたらいかがでしょうか。

「サントリーBOSS」
http://www.suntory.co.jp/softdrink/boss/top.html

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posted by Y.Takahiro at 15:25 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 『心(こころ)』の章

2006年04月17日

幼い頃に感動したこと

人間は7歳ぐらいまでの幼児期に基本的な人格が形成される、という学者がおります。
私はその7歳まで、神奈川県の相模原市に住んでおりました。
私の家は相模原の中でも郊外にありました。その頃は周りに林の多い地域で、夏にはよく同い年ぐらいの友達と、近くでカブトムシやザリガニを取って遊んでいました。
今ではすぐそばに横浜線の「古淵」という名前の駅ができ、その当時には無かった大型ショッピングセンターも進出しているそうで、その辺りの雰囲気はかなり様変わりしていると聞いております。

私の心の中に残っている最も古い記憶は、私が母の背中におんぶされて、その母が歌っている童謡「七つの子」を聞いている情景です。
何とも言えない安心感に包まれた、幸せな記憶です。
それは間違いなく3歳年下の妹が生まれる前の光景ですので、自分が2歳ぐらいの頃の記憶ではないかと思います。
親から聞いた話によると、その頃の私は、しょっちゅう家の中で一人で大きな声で童謡を歌っている子供だったといいます。
小学生時代から高校・大学時代と、ずっとコーラスをやっていた私の趣味はその頃から始まったのではないかと思われます。

次に鮮明に思い出すのは、私の妹が生まれたばかりの時の記憶です。
私は妹ができて大喜びをし、大はしゃぎで、父と母の手に交互に抱かれている妹に向かって「あかちゃん、あかちゃん」と呼び掛けています。
そしてその時、父と母は、一生懸命に妹の名前をどう付けるかを考えて議論していました。
妹の名前がついに決定した時の、父と母の様子もよく覚えています。

それから思い出すのは、クリスマスツリーの記憶です。
我が家に初めてやって来たクリスマスツリーは、高さが、わずか50センチぐらいの小さなものだったと思います。

私が一番好きだったのは、ツリーに巻き付ける点滅灯です。
点いたり消えたりを繰り返す赤色、青色、黄色のたくさんの小さなランプが、幼い私には、何かこの世の物ではない物のような、なんとも言えぬ美しいものに見えていたのです。
そして私は、クリスマスツリーに自分で飾り付けをすることが大好きでした。
いろいろな形をしたツリーのオモチャを触っていることがとても楽しくて、それらをどこにどのように飾り付けたらツリーが一番良く見えるかを、私は時間を忘れて夢中で考えていたのです。
それらひとつひとつを、頭の中で何かストーリーを創りながら飾っていた事を記憶しています。
クリスマスツリーを触りながら、私はおとぎ話の世界の中に浸っていたのです。空想が好きな子供でした。
大人になった今も、私は創造的な遊びや仕事が好きです。
その後私は、日本各地いろいろな所へ旅をし、美しい山や海を見てきましたが、しかし、これまでの生涯の記憶の中で、自分が最も美しいと思い、感動したものは、幼少期に見たクリスマスツリーだったように思います。

やはり、幼い頃の楽しかった記憶は、大人になってもずっと心の中に残っているものです。

まだ純粋な心を持つ幼い子供は、素直に喜怒哀楽を表現します。
大人がほとんど興味を持たないような事や、気に止めず見過ごしてしまうような事も、子供にとっては、そのひとつひとつが感動なのです。
人間がこの世に生まれてきた意味、目的を最も敏感に理解し、「今」という時を最も有意義に生きているのは、幼い子供たちなのではないかと思います。

私たち大人は、そういう自分の子供時代の楽しかった記憶、感動した記憶を、もう一度思い出す機会を持つことが必要なのではないでしょうか。
そうすれば、人間にとって本当は何が最も大切なのかがわかるかもしれません。
また、今抱えている問題や悩み事が、とても小さく感じられるようになるかもしれません。

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2006年04月05日

ニート

人気テレビ番組「ズバリ言うわよ!」の4日の放送で、細木数子さんが50人のニートと議論をする場面がありました。

細木さんが、まず彼らに言った言葉は厳しいものでした。
「ニートは、自分が何のために生まれてきたのかわかっていない」
「社会に対する責任を捨てて、自分さえ良ければの世界に入っている」
と、ニートたちを叱責したのです。

確かに、この解釈は間違ってはいないと私も思います。
しかし私は以前、このブログの中で、ニートを「オタク」という括りの中に属する一部の人たちであると解釈し、その人たちの存在を肯定に近い言葉で書き綴っております。
細木さんのこの発言は、私の意見に対する反対意見のようにも感じられて、私は最初、このシーンを自分の心が締め付けられるような思いで見ておりました。

また、この番組では、一概にニートと言ってもいくつかの種類があり、反社会的なタイプ、ひきこもり型、立ちすくみ型、つまづき型などがあると解説しておりました。
ニートとは、人生の早い時期に挫折を経験し、現実からの逃避に向かってしまった人たちなのでしょう。
またその多くは、子供時代の家庭環境か生活環境に何らかの問題があって、人生のかなり早い時期に大人あるいは大人社会の醜い面を見てしまった人達なのではないかと思います。
そして、子供の頃から大人の世界に対する拒絶心を無意識に内面に作ってしまい、社会人になったときに、自分が社会に適応できないことを自覚した人たちなのではないかと思います。

彼らは、そういう大人社会に、無理にでも適応できるよう努力すべきなのでしょうか。
自分の生活、自分の老後を考えたときには、とりあえずはそういう努力をせざるを得ないのだ、と言うしかないでしょう。

しかし、それでは、今の社会は正しい社会なのでしょうか。
私はこのブログの中に何度も書き綴ってきましたが、今の社会は、人間の低い精神性に基づいた慣習や仕組みで動いている部分が、まだまだ多いと思います。
「自分さえ良ければ」の精神が蔓延しているのは、ニートの世界ではなく、むしろ現実社会のほうではないかと思われる部分も多いような気がします。

最後に、細木さんは、ニートたちへ向かって、次のように締めくくりました。

「誰にでも人生の挫折はある。
今の辛さは、いい経験になる。
縁はいろいろなところにあるよ。
心のきれいな人のところに幸せはある。
テイク・アンド・ギブではなく、ギブ・アンド・テイクでいきなさい。
ニートは、純粋で心のきれいな子だ。
自分を信じて、正しく生きなさい。
努力すればできる。
いろいろな社会の仕組みを、あなたたちが直しなさい。
心を入れ替えたら、すごいパワーになるよ。
人生には、本当にびっくりするような、宝の山がたくさんある。」


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2006年03月28日

誕生日占い

主婦の友社から発行されている「誕生日大全」というタイトルの本があり、ある人から、それがすごく良く当る誕生日占いの本だと聞きました。
さっそく今日、私はその本を、まず書店で立ち読みし、自分の誕生日である6月23日のページを開いてみました。
6月23日生まれのキャッチコピーは、「強い精神力と高い目標が導く成功」。
なかなか良いキャッチだと思い、私は気を良くして衝動的に買い求めたのです。

家へ帰って、その本をゆっくりと読みました。
キャッチコピーの中に「成功」という言葉の入った誕生日は、ほかには、ほとんど見当たりませんでした。

説明文を読んでいくと、私の性格や能力のことについて、いろいろな事が書かれていたのですが、その中から良い言葉だけを拾って、ここに書き写してみたいと思います。

「鋭い直観力と瞬時に物事を理解する能力を持つあなたは、非常に聡明で洞察力に富んでいます。繊細で恥かしがり屋ですが、あなたは強い精神力と高い目標を持ち、そして成功を必ず手にします。」

「29歳を過ぎ、太陽がしし座に入ると、目が社会に向くようになります。」

「価値を見極める目と財力に恵まれたあなたは、決断力や物事を成功へ導く力にも恵まれています。つまり、どのような困難にあおうとも、それらを乗り越える力をあなたは持っているのです。」

「繊細で優しさにあふれたあなたは、恵まれない人や社会のために働くこと、人々に安らぎを与えるような仕事に魅力を感じます。また、その公正な性格は、文章を書く仕事でも才能を活かすことができます。」

「繊細で、直観力が非常に強いあなたには、精神的な安らぎが必要ですが、誰かの支えとなり、元気づける役割を担うこともしばしば。心を許すまでに時間がかかりますが、ひとたび心を開けば、心変わりすることもなく、相手を裏切ることはありません。」

「人との出会いを好みますが、23日生まれの特有の活発さで、さまざまなことに挑戦し、多くの体験をし、それらを上手にこなしていくことができます。人なつこく、楽しいことが大好きなあなたは、常に冒険心と意欲に満ちており、活発な活動を通して、その才能を開花させます。」

なんだか自分自身で胸がこそばゆくなるような、良い言葉ばかりが並びましたが、私はこれらの表記が当っていると思っています。
また、当ブログをいつも読んでくださっている方ならば、これらの表記が私自身の性格と、ほぼ矛盾していないということをご理解いただけるのではないかと思います。

「鋭い直観力を持つ」とありますが、これは私がこのブログに書いた「インスピレーション」の記述と関連していると思います。
「29歳を過ぎ、目が社会へ向く」とありますが、私は30歳の時に、トレンドを学ぶ会、そして生き方を語り合う会の二つの会の主宰者になりました。
「恵まれない人や社会のために働くこと」への私の志向は、このブログのプロフィールの中に記述しました。また私は、あしなが育英会とユニセフに定卒的に募金をしております。
「文章を書く仕事でも才能を活かす」とありますが、私は、自己の文才を生かして今までずっと仕事をしてきました。
そして私は、自分が「成功を必ず手にする」と信じています。


ついでに、私の妻の誕生日である2月14日のページも読んでみました。

「チャーミングで知的で、温かい心を持っています。」
「人あたりがよく、おおらかなあなたには、なごやかな人間関係が欠かせません。」
「仕事のうえでも明るい個性を売りこみ、華やかな暮らしを求めるなら芸能界という選択もあります。」

私の妻は、もともと性格がピュアで、友達が多く、明るいキャラクターを持っています。
そういえば、彼女は若いときに大手芸能プロダクションからスカウトを受けたことがあると言っていました。
やはり、この占いはよく当るのです。


私が今日、皆様に言いたいことは、「良いことは積極的に思い込め」ということです。
目には見えませんが、人間の心や意識には、とてつもない力が宿っています。
思いが現実を創造するのです。
自分は成功すると思い込んで疑わない人は、必ず成功します。

もし、今は自分の状況が良くなかったとしても、それは人生の修行の期間です。
その状況を、ありのまま受けてください。その経験は、後の人生に生きてきます。
修行の卒間を終えたときに、必ず良くなることを信じましょう。
占いの結果は、プラス志向でとらえて、良いことだけを信じ、自分の思い込みの中でうまく利用しましょう。
プラス思考が運勢の上昇をもたらすのです。

これまで私には、自分の性格や才能について、こうだ、と明確に思い込んでいたイメージがありました。
その結果、本日このような本と出会いました。
自分がイメージしていた、その通りのことがここに書いてありました。
私の場合には、占いの本が先なのではなく、自分の思い込みが先でした。
これも、「思いが現実を創造」したひとつの事例であると言えるでしょう。


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posted by Y.Takahiro at 22:21 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 『心(こころ)』の章

2006年03月26日

努力しているヒマはない!

本日、書店で面白いタイトルの本を見つけました。
「努力しているヒマはない!」(Gakken刊)
著者は、2005年6月に東証一部に上場を果たしたソフト開発会社、ソフトブレーン鰍フ会長、宋文洲氏です。
タッチは辛口ですが、「努力すれば報われる」と言われ続けてきた従来の世間の常識を覆す内容で、私がこのブログに綴ってきた人生哲学の内容と一致する部分が多かったのです。
そこで、この本を読んで私が共感した言葉をここに抜粋し、紹介させていただきたいと思います。


・新しい社会の中では、すでに、努力すれば必ず成功する、という図式は完全に崩壊しています。
・残業に浪費する時間を利用して副業でもやったほうがまだいいと思います。ところがまた、日本の企業は副業を禁止するのが普通です。卑怯なやり口です。これは明らかに、社員を個人として自立させず、会社に縛り付けておこうという思想です。
・会社に一日中縛り付けられ、会社以外のことを知らず、自由な行動も発想も奪われ、個人として自立する意識や生存能力を失ってしまう。
・それでも努力競争から降りることができない、気の毒な若者もいます。彼らは無理を重ねて頑張り続け、年収や社会的虚栄心と引き換えに、健康や人生本来の意味を失っていきます。

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「身体と心に玄米菜食の重要性。」
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・ある統計によれば、あまり豊かでない国のほうが、国民が高い幸せ度を感じている、という傾向があります。経済的な豊かさは、人間の幸福感とは何の関係もないのです。
・フリーターとかニートとか、あるいはアキバ系とか、今の若い人たちのライフスタイルがとやかく言われていますが、社会に生まれるすべてのことは必然である、というのが私の考え方です。そして、それは様々な意味で、人類の進歩の証だったり、兆しだったりするのだ、と私は思います。
・フリーターやニートという現象は、日本の文化から偉大なる文化が生まれる前兆であるのかもしれません。

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「日本人の使命を遺伝子から考える」
「オタクが世界を変える!」
「上下関係を作る人、作りたがらない人」


・なぜ人間が仕事をするのか、文明を発展させてきたのは何のためだったか、もう一度考えてみてください。すべて、人を楽にさせるためです。努力しなくてもすむようにです。人類の進歩は、いかに楽をするか、いかに仕事をしなくてすむか、という目的に向かってのものでした。

関連する当ブログの記事
「働く喜び」


・幸運と努力の間には何の相関関係もありません。どういう人に運が向くかというと、答えは簡単、チャンスに出会う回数が多い人です。ですから、大切なのは、たくさんのチャンスに出会えるように、自分から動くことです。
・人間は何のために生きるのか、自分は何を目指して生きていくのか。些細なことでも何でもいいから、私はいったいだれなんだ、という自分探しをしていくうちに、間違いなく何かが見つかるはずです。

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「物事に偶然は無い」


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2006年03月13日

働く喜び

「はたらく」とは、「他人(はた)を楽にする」という意味が語源だそうです。
つまり、「働く」とは、自分のためにする行為ではないのです。
他人の世話をし、他人に喜びを与えて、その結果として自分の生計が成り立つのです。

お客様に対して、奉仕の心をもって、はじめて働く意義があります。
会社の経営者ならば、従業員の幸せも考えることができて、はじめて働く意義があります。

労働だけではなく、私たちが「生きる」という事は、すべて他人と関わる事によって成り立っています。
他人の力を一切借りることなく、この世に生まれて、生きていける人というのは、誰ひとりとしていないのです。

自己の利益、自己の希望、自己実現だけを目標にして仕事をする人は、自分の内にストレスだけを溜めていきます。
自己中心の人は、他人に対して、常に不平不満を持っているからです。

「働く」ことの原点は、自分がこの世に生きている事に喜びを感じ、人と人との出会いに感謝し、そして人を愛する事にあります。

お客様と一緒に喜びを分かち合っていこう。
関わった人と一緒に発展していこう。
そう心掛けながら仕事をしている人は、他人からも感謝されるので、結果的に繁栄していきます。


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2006年03月11日

ストレス対策

会社で配布されている「職場の教養」(倫理法人会発行)という小冊子を読んでいましたら、「ストレス対策」という項目がありました。

それによると、ストレスに弱い人には4つのタイプがあるとのこと。
?@きっちりタイプ・・・几帳面すぎる、完全主義者
?Aこだわりタイプ・・・頑固、融通がきかない
?Bせっかちタイプ・・・競争心とテンションが高すぎる
?C合わせすぎタイプ・・・ノーが言えず抱え込む
…以下この記事は別サイトへ移転しました。




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2006年03月08日

愛する心

人に対して思いやりを持ちましょう、感謝の心を養いましょう、とよく言われます。
しかし、世の中には、見せ掛けだけの「思いやり」が非常に多いような気がします。

身近な周りの人に、自分を格好良く見せたい。
あとで自分の言うことを聞かせるために、相手に恩を売っておきたい。
……そういう下心があって、思いやりのある人のように振舞っている人がおります。

そういう人たちは、あの時ああしてやったのに、こうしてやったのに…と、常に他人に対して不満をもっています。
対人関係がストレスになりやすい人です。
根本的に人を信用できないのでしょう。
格好を付けて他人に恩を売ることでしか、人とうまく付き合えないのです。

本来の「思いやり」とは、無条件で人を愛することを言います。

本物の思いやりは、一切相手に見返りを求めません。
見返りを求めていないので、その相手との人間関係において、少しぐらいではストレスを感じることもありません。

母親の子供に対する思いやりは、無条件の愛です。
子供の命を救うために、我が身の危険を顧みない親もおります。
中にはそうではない親もおりますが、基本的に親の子に対する愛とはそういうものです。

それに対して、とても困難な道程で、人生の大きな修行になるのが夫婦の絆です。
夫婦とは、もともとはアカの他人。
夫婦になるということは、もともと他人だった者同士が、お互いに相手の生い立ちや人生をすべて受け入れることを意味します。
相手のことで、夫婦になってみて初めて知ることも多いのです。
どうしても相手の人生を受け入れることができなかったとき、別れてしまうこともあるのでしょう。
しかし、その別れも、お互いの人生において必要な体験となる場合もあるので、間違いであるとは言い切れません。
いずれにしても、私たちの「愛する心」の真価が試されるのは、夫婦生活にあるのではないかと私は思っております。

最近では、仕事を優先して生涯独身を貫く方も増えております。
仕事の中で無条件の愛を実践できる、ごく一部の方もおりますが、しかし、多くの人にとって、仕事とは駆け引きの世界。仕事は生活するための手段にすぎないものであって、私たちがこの世に生まれてきた目的ではないはずです。
自己の魂を成長させるためにも、一生一度は結婚という体験を持つことが重要なのではないかと思います。


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